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第二次世界大戦を終戦に導いた政治家「鈴木貫太郎」。その記念館が野田市に。

鈴木貫太郎ってどんな人?記念館ってどんな場所?

1945年4月7日〜同年8月17日まで第42代内閣総理大臣を全うした、「鈴木貫太郎(すずきかんたろう)」という人物ゆかりの品、資料を展示する記念館です。

 

「鈴木貫太郎」は1868年〜1948年の日本の海軍軍人であり、政治家です。1868年現在の大阪市堺市に生まれ、1871年に現在の千葉県野田市関宿町に転居します。

 

父は群馬県庁に勤めていましたが下級官史で薄給だったため、貫太郎を給料の良い医者にさせたかったそうです。しかし貫太郎は海軍に憧れを抱いていました。海軍になれば外国に行けるという漠然とした思いからだったのです。

 

 

この漠然とした思いが大きく人生を変えることになる。


 

父は反対でしたが貫太郎の熱意に押し負け、貫太郎は猛勉強の結果により1884年に海軍浜学校に一発で合格を果たします。ここから彼の海軍人生が始まるのです。

 

1895年には日清戦争に参加し、湾内の防材の破壊や偵察などに従事しました。1897年には海軍大学校に入校、1901年にはドイツ在住を命じられます。

 

その後日露戦争、黄海海戦に参加し軍艦の「春日」の副長として様々な功績を残します。

 

1925年には軍令部長、1929年には昭和天皇と皇太后・貞明皇后の希望で侍従長に就任。

 

1936年に反乱軍に襲撃される「二・二六事件」が発生し重傷を負い生死を彷徨いますが、奇跡的に一命を取り留めます。1944年に枢密院議長に就任、1945年4月には第42代内閣総理大臣に就寝しました。この時貫太郎は77歳で内閣総理大臣歴代最年長就任記録となりました。

 

そして同年、8月のポツダム宣言受諾による終戦を実現します。ポツダム宣言とは第二次世界大戦の戦後処理についてアメリカ・イギリス・ソ連の首脳が話し合い、アメリカ・イギリス・中国が日本に対して降伏要求を発表した宣言のことです。

 

しかし、日本政府はこの宣言をすぐに受け入れることはしませんでした。連合国側に有利な内容ばかりで日本側に選択肢がなかったからです。これに対しアメリカは「日本が降伏しない限り、8月3日以降に原爆を投下する」と宣言しました。

 

同年8月、宣言通り広島と長崎へ原爆が投下され多くの犠牲者が出てしまいます。これを受け鈴木内閣は二度の御前会議を開き、昭和天皇はポツダム宣言を受託する聖断を下します。これにより日本の敗戦が正式に決まることとなりました。

 

1945年8月、内閣が総辞職となり同年12月にはふたたび枢密院議長を務めることになります。1946年6月に辞職し、その生涯を現在の千葉県野田市で終えました。貫太郎は80歳でした。

 

だいたいこんな感じでしょうか。歴史というのは奥が深いですね・・・・・理解するのが難しいですが、わかれば面白いものです。

 

 

難しいものは調べがいがある…。


 

まとめますと鈴木貫太郎は外国に憧れる思いから海軍に、海軍から徐々に功績を上げて政治家に、ついに内閣総理大臣まで上りつめ、第二次世界大戦を終戦に導くために終戦工作をした、という業績を持つ人物です。外国への憧れから始まり内閣総理大臣まで成りあがるとは、随分と波乱な人生を送っていた様子がうかがえます。

 

長くなってしまいまいしたが、今回は鈴木貫太郎がその生涯を終えた千葉県野田市にある鈴木貫太郎記念館に行ってみます。

 

 

 

鈴木貫太郎記念館に行こう

 

鈴木貫太郎記念館は鉄道駅から10km程離れた場所にあるのでバスを使います。その最寄り駅は東武スカイツリーライン(伊勢崎線)「東武動物公園駅」となります。東武アーバンパークライン「川間駅」からもバスが出ていますがあちらは本数がかなり少ないので東武動物公園駅からのほうが至便です。こちらはだいたい30分間隔でバスが駅前から出ています。

 

目的地の市町村は千葉県野田市となりますが、埼玉県宮代町から行くことになります。

 

 

東武動物公園駅から鈴木貫太郎記念館まで行くには東口から「境車庫行き」の朝日バスに乗り、20駅先の「関宿台町」で下車します。運賃はICカード乗車券だと片道483円です。30分程バスの旅をお楽しみください。

 

 

さあ出発です。朝9時台かつ日曜日なので自分含めて3人しか乗っていません。

 

 

車窓です。埼玉県も北の方まで来ると田舎・・・ですね。

 

 

江戸川を越えると千葉県です。

 

 

東武動物公園駅から約30分、関宿台町で下車します。ここは千葉県の最北端付近です。

 

 

バス停周辺に今回の目的地である鈴木貫太郎記念館があります。野田市のサイトによるとこのバス停から徒歩2分とのことですが。

 

 

お、ありました!!

 

 

出入口はこんな感じです。本当にバス停付近です。ほぼ目の前ともいえる距離です。

 

 

ということで鈴木貫太郎記念館に到着です!!

 

この記念館は1963年に開館し、鈴木貫太郎の旧宅があった場所の隣に位置しています。入館料は無料で副館長による解説もあります。

 

館内の様子をお届けしたいところですが、遵守事項として「展示品の模写または撮影を行わないこと」があるのでご想像にお任せいたします。

 

 

館内はともかく外の様子は伝えることができそうです。こちらは記念館の隣にある「鈴木貫太郎翁邸跡」。

 

内閣総理大臣を辞職した鈴木貫太郎は現在の千葉県野田市に帰り、この関宿地区に農事研究会を発足させ将来酪農を農業経営を取り入れていくことを助言します。その影響かこの地域は農地が多くなっているようです。

 

 

駐車場にある「集乳所新設記念の碑」。鈴木貫太郎は地元農家の若者を教育するために指導者を招いたりしました。この碑は鈴木家の農地に集乳所が新設されたことを記念して建てられたものとなります。

 

 

「鈴木貫太郎翁終焉の地」と書かれた碑。この地で鈴木貫太郎がその生涯を終えたことがわかる碑です。

 

とまあ、記念館の敷地内にも鈴木貫太郎に関するものがあるわけです。内閣総理大臣を辞職した後も、高齢ながら地域の酪農に貢献していたことがわかりますね。

 

 

 

これにて鈴木貫太郎記念館を後にします。

 

 

帰りは記念館付近にある関宿台町バス停から帰ります。こちらは東武動物公園駅行きのバス停となりますが、時刻表を見てみましょうか。

 

 

そこそこありますね。だいたい30分に1本ぐらいでしょうか。

 

この東武動物公園駅行きのバスに乗って帰るのが最も至便となりますが、帰りはルートを変えてこの付近にあるもう一つのバス停から帰るとしましょうか。

 

 

もう一つのバス停は野田市関宿台町交差点近くにあります。

 

 

ありました。同じ場所に「朝日バス」と野田市の「まめバス」のバス停があります。今回は朝日バスの川間駅行きに乗って東武アーバンパークライン「川間駅」まで行ってみることにしましょう。

 

 

バス停付近はこんな感じです。

 

 

時刻表です。春日部駅行きもありますが、本数がかなり少ないです。先ほどの東武動物公園駅行きに比べると一目瞭然です。川間駅と春日部駅からここまで来るのはあまりおススメできないでしょう。やはり東武動物公園駅からバスで来るのが一番よさそうです。

 

 

川間駅行きに乗車し約40分乗車、関宿台町から川間駅まで30駅以上あります。乗客は川間駅に近づくにつれ、増えていきます。

 

 

川間駅に到着です。関宿台町から川間駅までICカード乗車券で504円となります。

 

 

川間駅は千葉県最北端の駅となります。しかし、特別なものはありません。

 

 

 

まとめ

 

鈴木貫太郎記念館は千葉県野田市に縁のある海軍軍人、政治家の鈴木貫太郎にまつわる資料を保存・展示する記念館です。鈴木貫太郎は外国の憧れから海軍になり、多くの功績を残しただけでなく政治家になるまで成りあがりました。ついには内閣総理大臣に就任し、第二次世界大戦を終戦に導きました。77歳での内閣総理大臣就任は日本最高齢の記録となります。この記録は戦前・戦後を通じて破られていません。

 

記念館は鈴木貫太郎の邸宅があった隣に位置します。敷地内には内閣総理大臣を辞職した後、地域の農業発展を願い貢献したことがわかる碑があります。

 

歴史・政治というのは奥が深いもので理解するのが難しいですが、時間をかけて理解することができれば面白いものですよ。

 

 

歴史に思いを馳せるとノスタルジーな気分になる・・・・・気がする。


 

 

 

最寄り駅

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