350年以上もの時を超え残る東日本最古級の古民家、旧大沢家住宅。
旧大沢家住宅ってどんな場所?
寛文4年(1664年)に建築されてから350年以上経つ江戸時代の古民家です。その歴史の深さは東日本最古級とも言われております。上総国長柄群宮成村(現千葉県長生郡長生村)の名主を務めた大沢家の住居として昭和48年(1973年)まで使用されていました。
昭和50年12月には千葉県登録有形文化財に指定、昭和51年には建築当初の姿に移築復原され同年11月に現在の習志野市に開館しました。
長生村から習志野市まで50kmほど離れているにもかかわらず、建物を移築するって何気にスゴイかも。
この住宅は江戸時代中期までの典型的な房総の古民家の形式を残し、現在に伝えているといいます。出居(ひさしの内部にある接客用の為の客間や座敷)の戸口が格子窓と壁だけで構成、大黒柱が使われておらず床の間がない、座敷の周囲に1間(約1.82m)ごとに柱を立てているなどの特徴が見られます。
今回はこの旧大沢家住宅に行き、江戸時代中期の房総の民家がどのようなものだったのかを確かめに行きます。旧大沢家住宅は現在、習志野市にある「藤崎森林公園」内にあり、そこで無料公開が行われているようです。
旧大沢家住宅に行こう
京成津田沼駅に来ました。旧大沢家住宅のある藤崎森林公園は京成線「京成津田沼駅」と「京成大久保駅」の中間あたりに位置していますが、ターミナル駅の京成津田沼駅からの方がアクセスしやすいでしょう。当駅から20分程歩いて公園に向かいます。
ちなみ当駅の西に京成線と新京成線の踏切があるが電車の本数が多いだけでなく、当駅止まりの折り返しに使われる引き上げ線が踏切の先にあるため開かずの踏切となることが多い。
北口付近。京成津田沼駅とJR津田沼駅は1km弱離れているため乗り換えには適さない。同じ津田沼でも全く違う駅だ。
JR総武線の線路下を抜けます。「津田沼」〜「幕張本郷」間です。
習志野市営ガスの横を抜け、わき道に入ると・・・・・。
藤崎森林公園と旧大沢家住宅と書かれた看板が見えた。ここまでくればそう遠くないはず。
車通りも人通りもほとんどない閑静な住宅街。古民家が立地するにはこのような静かな場所でなければ。
住宅街を抜けると、緑地が広がる癒しの空間が姿を現す。
ここが旧大沢家住宅のある藤崎森林公園のようだ。この空間はまさしく「森林公園」と呼ぶにふさわしい・・・・・。
マイナスイオンを感じるッ・・・・・!!
公園の中心には池がある。少し公園内を見て回ろうか。
カルガモが泳いでいる。野鳥が多く集まるのか、公園内はバードウォッチングをしている人がいた。
菖蒲田がある。初夏の時期になると花菖蒲が咲き、公園内を彩ってくれるのだろう。
なにこれ?なんかの鉄道車両?相当年季が入っているように見えるが・・・・・?
どうやらこれはかつて長野県の木曽谷に存在していた、「木曽王滝森林鉄道」と呼ばれる全長48.8kmの鉄道のディーゼル機関車らしい。この機関車で木曽谷の国有林で伐採したヒノキ・サワラなどの木材を運搬していたようだ。木材だけではなく生活必需品の輸送、林業関係者や地元住民の足としても活躍していたとのこと。
しかし、鉄道沿線全体の伐採量減少に加え、道路の整備によるトラック輸送が可能になったため大正13年から昭和50年までの51年間に及ぶ長い一生を終えた。
この藤崎森林公園に展示されているディーゼル機関車は昭和15年に製造されたもの。木曽王滝森林が廃止となるまで使われ、廃止後の翌年に習志野市が譲り受け現地に移設されたようだ。
この公園内で玉滝村中心部の最寄り駅だった「田島停車場」を再現し、ディーゼル機関車・運材台車・客車を連結した状態で展示を行っている。レールや枕木も木曽王滝森林鉄道で実際に使用されたものを使っているようだ。
田島停車場のすぐ隣にある小さな階段、木々から見える茅葺屋根。もしやあれが?
房総の魅力500選のパネルがあり、旧大沢家住宅と書かれている。ここが今回の目的地のようだ。
さっそく階段を上ってみよう。
というわけで到着です!!「旧大沢家住宅」です!!木々の中に佇む古民家、雰囲気あるねぇ〜。
入館は無料です。いつでも入れるというわけではなく、開館時間が9時30分〜16時30分(11月〜3月は16時まで)と決まっているので気を付けましょう。また毎週月曜日(休日の場合は翌平日)と毎月第2金曜日と年末年始は休館日となっています。(2021年1月現在)
それでは住宅の中に入っていきましょう。
中は外からの明かりしかないので暗いです。見づらい写真かもしれませんがご了承ください。
ちなみに説明員の方がいらっしゃいます。
土間の部分。いろいろな民具が飾られているな。
土間は農作業や家事に使われる。土間の地面部分は「三和土(たたき)」といい土・石灰・苦汁を混ぜて固めてある。
「かまど」。煮炊きに用いる火炉。粘土やレンガ、石などでつくり、鍋、釜をかける。西日本では「へっつい」「くど」と呼ぶらしい。かまどのそばには「竈神」や「三宝荒神」を祀り、火伏せの神である秋葉神社や愛宕神社のお札を貼って火の用心としていた。
このかまどは茅葺屋根に虫が湧くのをふせぐため、午前中に火を焚いているようだ。ただし天候によってはかまどを焚かない日があるらしい。わからないけど雨の日とか?
出居。中心には囲炉裏(いろり)がある。こちらは土足厳禁でスリッパを履く。
囲炉裏は長方形と正方形があり地方によっては「ひじり」「ゆるり」と呼ぶ。東日本では囲炉裏ひとつで煮炊き・暖房・明かりを兼ねていたため、囲炉裏が大きめなものとなっている。
出居の奥は座敷と四畳と奥の間。こちらはスリッパを脱いで上がる。
本住宅には大黒柱がなく、千葉県内では江戸時代中期まで大黒柱を立てないのが一般的だった。その代わりなのか客座敷の周囲に1間ごとに杉材を利用した柱を立てている。
なお大黒柱の由来は大黒天(大黒様)にあるといわれる。大黒様は富と豊穣の神として祀られていたことから、一家を支える中心人物を指すようになった、という説がある。
旧大沢家住宅の間取り図を作ってみました。青い点線は戸の部分を現しています。
建物は茅葺平屋寄棟造(かやぶきひらやよせむねづくり)、
床面積144.7平方メートル、
桁行(長方形平面の長手方向)17.9m、
梁間(長方形平面の短手方向)9.5m、
棟高さ7.1m。
江戸時代中期までの房総の民家として特徴的なのは窓や出入口といった開口部が少ないこと、出居の戸口が格子窓と壁だけで構成されていること、
差鴨居(さしがもい・和室の襖や障子などの建具を立て込むために引き戸状開口部の上枠として取り付けられる横木で建具を滑らせる溝がある)が少なく座敷の周囲に1間(約1.82m)ごとに柱を立てていること、大黒柱が使われておらず床の間がないことが挙げられます。
専門的な言葉が多くて難しいね・・・・・。
建築物って奥が深いんだなぁと思いつつ、旧大沢家住宅を後にしました。一目で古民家の特徴をつかむのは難しいがよく見て、調べればその特徴が見えてくる・・・・・そしてその特徴を知ることができれば古民家をもっと楽しむことができるはずだ。歴史ある建物を楽しむためにはまず初めに、その建物の特徴をにつかむことが大切なのかもしれない。
まとめ
旧大沢家住宅は習志野市の藤崎森林公園内にある、東日本最古級の古民家です。江戸時代中期の房総の古民家ならではの特徴残す、歴史ある建物として一般公開されています。350年以上もの歴史があるためか、古民家の周辺だけタイムスリップしたかのような古き良きオーラを放っています。
ぱっと見「房総の古民家の特徴ってどこなの?」と思いますが、そこは建物の構造をよーく見てください。建物の特徴をつかんだ時、初めて「こういうのが房総の古民家なのか!!」ってなると思いますから!!
歴史を見るのは面白くもあり、難しい。
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